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後藤人形
心つたえる伝統を...創作雛人形、五月人形の後藤人形


昭和20年、初代清峯が創業。大縄場大橋のたもと、ビルの上の人形が目印です。2011年 創業66周年を迎えました。

a story of the small company 

創業から初代清峯の時代

心の復興から、芸術性を求めた舞踊の人形へ

昭和20年創業。焼け野原の岐阜市で、初代清峯は人形作りをはじめました。どんなきっかけで、
何を思って、人形を作り始めたのか、いまでは、本当のことはわかりません。
ただ、東北の大地震のあとの何もなくなった街を見て、私は祖父のことを思い出しました。
何も希望がないほど打ちのめされた時、人は何を求めるのだろう。
その答えに「人形」があるのだとしたら...
きっと祖父は、心の復興のために、人形作りをはじめたのだと思うようになりました。
 やがて国内旅行のブームが起こり、祖父は、長良川の鵜匠さんのお人形や、岐阜の民謡「おばば」の人形をせわしなく作る日々が始まります。
それを子供たちが手伝い、リヤカーや自転車で何度も長良川界隈の旅館に納品する。それが後藤人形の創業期です。
「おばば」の人形は一年間に40万個を売り上げ、全国のおみやげの人形の記録を作って表彰されたそうですが、祖父はそうした顕彰に無頓着で、表彰状などがあったらむしろ、どこかに隠してしまうような人でした。
 清峯は、伝説の頭師、及川映峰の頭を用いた舞踊の人形で、人気職人となりました。女性らしい、やわらかいラインが特徴で、「型が決まる手前の一瞬、そこがええんや。」といって独特の動きのある人形を製作しています。天皇陛下が岐阜にお泊まりになった時には、萬松館においてあった舞踊のお人形に目をとめられ、その人形をお買い上げになったそうです。

二代目 後藤康彦の時代

パンダ!パンダ!パンダ! そして、雛人形の時代へ

父 康彦の時代になると、日本は高度成長期とベビーブームに湧きます。この頃、後藤人形の建物を満杯のパンダが支配していました。中国から初めてパンダがやってくると同時に、熱狂的なパンダブームが起こり、ぬいぐるみの卸業が忙しくなります。家の段ボールをあけるとパンダ。かくれんぼもパンダの山をかきわけてかくれたり、百貨店に横づけしたトラックをあけるとドサッとパンダが降ってくる。そんなパンダ漬けの日々が続きました。一方で、雛人形の製造、卸にも力を入れ、オリエンタル中村屋、名古屋三越、JR高島屋などの百貨店、全国の小売店とのつながりが増えていきました。

人形業界に尽くして

 私は父ほどこまめで、面倒見の良い人をあまり見たことがありません。思ったことをズバッというのに敵を作らない性格です。いつしか名古屋の同業者の仲間に見本市の会長や、日本人形協会の理事を任せられ、長い間、業界のための活動をしています。現在も節句人形アドバイザーの委員として、問題製作などにたずさわっています。ひなまつりや端午の節句といったお節句の意味や、大切さをわかりやすく説いてくれたのも父です。
 名古屋とその近郊は、人形の産地として、京都や岩槻などと比べてブランド力には及ばないかもしれないけれど、自由な発想で、本質的なひなまつりの魅力を伝える力はある。そんなことを考えている人です。
後藤人形社長 後藤康彦後藤康彦
Text by yukako goto